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仙台高等裁判所 昭和58年(う)228号 判決 1984年7月12日

本店所在地

仙台市一番町一丁目二番一一号

横山商事

有限会社

(右代表者代表取締役 横山よし子)

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和五八年九月一九日仙台地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告会社代表者から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官荒木紀男出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人渡邊大司及び同柴田正治作成名義の各控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官荒木紀男作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここに、これらを引用する。

弁護人渡邊大司の控訴趣意第一点及び柴田正治の控訴趣意一について、弁護人渡邊大司の所論は、要するに、本件当時被告会社の代表者代表取締役であった横山新二郎は偽りその他不正の行為により法人税を免れるという構成要件該当の実行行為に及んでおらず、また、同人にその故意もなかったのに、これらの点を積極に認定して被告会社を有罪とした原判決には事実誤認又は法令の適用を誤った違法がある、というのであり、弁護人柴田正治の所論も、同様の点で原判決には事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の各証拠を総合すれば、土地販売等を営業目的とする被告会社の代表取締役として、その業務全般を統括していた横山新二郎が、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、開発協力費二億五六五〇万円なる架空仕入及び支払手数料六〇〇〇万円なる架空経費を計上して簿外の架空名義の銀行預金を設定するなどの方法により被告会社の所得を秘匿した上、昭和四八年三月一日から昭和四九年二月二八日までの事業年度における被告会社の実際所得額が六億〇八三四万五八〇六円で、これに対する法人税額が二億二〇七六万七九〇〇円であったにもかかわらず、昭和四九年四月三〇日仙台中税務署長に対し、所得金額が二億九四七五万五八〇六円で、これに対する法人税額が一億〇五五二万六四〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により被告会社の右事業年度の正規の法人税額と右申告税額との差額一億一五二四万一五〇〇円を免れた旨認定して有罪とした原審の措置は、原判決が所論指摘のほ脱の実行行為及び故意の点に関し「(弁護人の主張に対する判断)」の項において詳細に認定説示するところを含めて優にこれを首肯することができるのであって、原審及び当審証人菊地徹郎の供述、原審第一二、一三、一四回各公判調書中の同証人の供述記載、原審第一〇、一一回各公判調書中の証人留目友子の供述記載、大蔵事務官の横山新二郎に対する各質問てん末書の供述記載中、右認定に反する部分はいずれも措信し難く、原裁判所が取り調べたその他の証拠を検討しても、原判決の認定判断に所論のかしはない。各所論は多岐にわたるが、結局のところ被告会社の菊地徹郎に対する二億五六五〇万円の支払及び不動産企画株式会社に対する六〇〇〇万円の支払いがいずれも実名義でなされており、これにより右金員が被告会社から社外に流出したことを前提として、原判示のように横山新二郎が架空仕入及び架空経費を計上して簿外の架空名義及び他人名義の銀行預金を設定するなどの方法により被告会社の所得を秘匿したとはいえないとし、法人税ほ脱の実行行為及びその故意の存在を争う趣旨に帰するものと解されるところ、関係各証拠を総合すると、昭和四九年一月一二日ころ被告会社から実在の人物である菊地徹郎あてに二億五六五〇万円の小切手一通が振り出された上、同月二一日ころ七十七銀行卸町支店に同人名義で別段預金口座が設けられ、これに基づいて同支店から同額の自己あて小切手が振り出された後、徳陽相互銀行本店に菊地徹郎名義の同額の通知預金が設けられたこと、また、同年二月二八日ころ七十七銀行卸町支店の被告会社の当座預金口座から平和相互銀行八重洲口支店の実在する不動産企画株式会社の普通預金口座に六〇〇〇万円が送金されたことがそれぞれ認められるが、しかしながら、原判決が「(弁護人の主張に対する判断)」の項で的確に認定説示するように、被告会社と菊地徹郎や不動産企画株式会社との間に右のような巨額の金員の贈与ないし報酬、手数料等の支払がなされてしかるべき関係があったとは致底認められない上、(一) 右の二億五六五〇万円の支払についてみると、(1) 徳陽相互銀行の発行にかかる菊地徹郎名義の同額の通知預金証書及びその預金の際横山新二郎が作成した菊地名義の印鑑は横山が自宅に保管していたこと、(2) 横山新二郎は、右二億五六五〇万円の支出が正当な経費であると見せかけるため、菊地徹郎との間で、そのころ、金額二億五六〇〇万円(金額が符号しない。)を受領した旨の領収「証」を作成したほか、被告会社の本件事業年度を経過した後の昭和四九年三、四月ころになって、右金員の授受に関し、菊地徹郎が被告会社の鳴瀬開発事業に社外社員的立場で専心し、その報酬として被告会社の松島、野蒜地区についての土地売買等による総収入額の五パーセントくらいを受領する旨の内容虚偽の昭和四八年一〇月一日付け「確認書」、昭和四九年一月一五日付け「報酬算定同意書」及び同月二〇日付け「念書」を作成したこと、(3) 同年四月三日、菊地徹郎名義の二億五六五〇万円の右通知預金が解約され、その元利金のうち四四八九万七七四九円が徳用相互銀行本店に、二億円が七十七銀行本店にそれぞれ菊地徹郎名義の定期預金として預け入れられ、残金一三〇〇万円は七十七銀行卸町支店の被告会社の当座預金口座に預け入れられたが、それらの預金の操作はすべて菊地徹郎の事前の了解を得ることなく、横山新二郎の一存でなされ、右定期預金証書二通も同人が自宅に保管していたこと、(4) その後仙台中税務署の税務調査や仙台国税局の強制調査が行われた後の昭和五〇年二月二八日に至り、右定期預金二口がいずれも解約され、その元利合計金が七十七銀行卸町支店の被告会社の当座預金口座に預け入れられたこと、(二) 右の六〇〇〇万円の支払についてみると、(1) 横山新二郎は、右金員を被告会社の当座預金口座から不動産企画株式会社の普通預金口座へ送金するに先立って、昭和四九年二月二〇日ころ同会社の代表取締役小玉敬重及び同吉田耕二に対し「六〇〇〇万円を送るから一時預かっておいてくれ。」と依頼し、右送金後の同年三月五日ころ東京へ赴き、自己の指示で事前に右預金口座から六〇〇〇万円を引き出していた小玉敬重から現金五五〇〇万円を受領し、そのうち二五〇〇万円を住友銀行仙台支店の青山光久という架空人名義の普通預金口座に預け入れ、残金三〇〇〇万円を自宅に持ち帰り保管していたこと、(2) 横山新二郎は、その後右六〇〇〇万円の支出が正当な経費であると見せかけるため、小玉敬重及び吉田耕二との間で、不動産企画株式会社が被告会社の鳴瀬開発事業に協力する旨の内容虚偽の昭和四八年七月一五日付け「契約書」及び六〇〇〇万円を契約に基づく礼金として受領した旨の「領収証」を作成したこと、(3) そして、横山新二郎は、その一存で昭和四九年六月一七日ころ右青山光久名義の預金を解約していったん払戻金を自宅に保管した上、同年一二月一七日ころ前記三〇〇〇万円と併せて合計五五〇〇万円を七十七銀行卸町支店に村上公治という架空人名義の通知預金とし、税務調査、強制調査が行われた後翌五〇年一月三〇日、右通知預金を解約し、その元利合計金を同支店の被告会社の当座預金口座に預け入れたことがそれぞれ認められ、これらの事実関係に徴すると、被告会社から菊地徹郎あてに二億五六五〇万円の小切手一通が振り出されて七十七銀行卸町支店に同人名義で別段預金口座が設けられ、また、同支店の被告会社の当座預金口座から平和相互銀行八重洲口支店の不動産企画株式会社の普通預金口座に六〇〇〇万円が送金された以降も、依然として横山新二郎が排他的に右各金員の管理支配を続けていたことが明らかであるから、形式的にはともかく実質的にみる限り、右各金員が被告会社から社外に流出したとは到底いえず、したがって、各所論はその前提において失当であるというほかはない。論旨は理由がない。

弁護人渡邊大司の控訴趣意第二点及び柴田正治の控訴趣意二について、

各所論はいずれも、要するに、被告会社に対する原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、訴訟記録及び原裁判所が取り調べた証拠を精査し、当審における事実の取調べの結果を併せて検討するに、本件犯行の罪質、態様、結果等、特に本件のほ脱税額は一億一五二四万円の巨額に上り、ほ脱率も約五二パーセントと高率であることなどにかんがみると、犯情は甚だ芳しくなく、その刑責は軽視することを許されず、本件の脱税に関し本税及び延滞税の一部が既に納付済みであること、被告会社が倒産状態にあること、本件当時被告会社の代表者であった横山新二郎が死亡していること等被告会社に有利な又は同情すべき諸事情を十分に参酌しても、被告会社に罰金二三〇〇万円を科した原判決の量刑はやむを得ないところであって、重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林隆夫 裁判官 泉山禎治 裁判長裁判官中川文彦は退官のため署名押印することができない。裁判官 小林隆夫)

昭和五八年(う)第二二八号

○ 控訴趣意書

被告人 横山商事有限会社

(代表者取締役 横山よし子)

右の者に対する法人税法違反被告事件について弁護人の控訴趣意は左のとおりである。

第一点 原判決は事実誤認又は法令の適用を誤った違法がある。

原判決は「被告会社の業務に関し法人税を免れようと企て、架空仕入及び架空経費を計上して簿外の架空名義の銀行預金を設定するなどの方法により被告会社の所得を秘匿したうえ、昭和四八年三月一日から同四九年二月二八日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が六億八三四万五、八〇六円で、これに対する法人税額が二億二、〇七六万九〇〇円であったにもかかわらず、同四九年四月三〇日、仙台市中央四丁目五番二号所在の仙台中税務署において、同税務署長に対し、所得金額が二億九、四七五万五、八〇六円でこれに対する法人税が一億五五二万六、四〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により被告会社の右事業年度の正規の法人税と右申告額との差額一億一、五二四万一、五〇〇円を免れたものである」旨を認定し、法人税第一六四条一項、第一五九条一項(逋脱罪)を適用している、また犯則の事実(実行行為)として菊地徹郎に対する二億五、六五〇万円の報酬支払(原判決書添付別紙Ⅰ修正損益計算書の勘定科目仕入高)と不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料支払い(右同勘定科目支払手数料)とを認定しているのである(その結果右のほかに右同勘定科目未納事業税の二九一万円も犯則の事実としている)。

しかし右の事実認定並に法令の適用は左の事由より誤った違法なもので、その破棄はまぬがれないものと思料する。

一、被告会社代表者である横山新二郎には「法人税を免れようと企て、架空仕入及び架空経費を計上して簿外の架空名義及び他人名義の銀行預金を設定するなどの方法により被告会社所有の所得を秘匿した」という事実も、そのような認識もなかったものである、また客観的にみて、あり得ないことである。

(一) 本件の事実関係について見ると、被告人は、昭和四八年事業年度(48・3月から49・2月までの)における公表帳簿にはすべての取引を計上し、財務諸表である損益計最書、貸借対照表にもすべて計上されているものであってその所得を秘匿したということはない。菊地徹郎及び不動産企画に対する支払は実名義で、現実に支払をし、口座振込みをなした(社外に流出した)もので架空仕入、架空経費を計上したり、簿外の架空名義の銀行預金を設定したということもない。菊地に支払った二億五、六五〇万円についての伝票、元帳に「開発協力費」(あるいは手数料)と記帳し、勘定科目を仕入(開発協力費)と記帳し、不動産企画に支払った六、〇〇〇万円についての伝票、元帳に「支払手数料」と記帳している。

これらの記帳は法人経理の実務上の処理として不当でも違法でもないものであり、また企業会計において一般的に用いられている会計処理の基準を著しく逸脱するものでもない。この記帳について菊地徹郎はその証言(52・1・14付)中で、「原価性ありというので仕入勘定にした、勘定科目は自分の方で決めたもので、これは支払の名目でして、会社が仕入と認定すれば、別に第三者から、とやかく言われる筋合はない」と述べているが、これまさに法人経理の実務上の処理として何ら不当でないことを言わんとしたものである。

ただこのような経理上の処理をし税申告したとしても税法上の所得の計算において実質上、損金に見られるか、それとも所得と見られ、損金に計上されてあれば否認されるということだけであって違法でも不当でもないことである。

(二) 税法の規定する課税要件は一般の私的経済活動を定型化したものであるとされているが、この私的経済活動はすべて私法によって規律されるものである、即ち会社(法人)は同時に経済人であり、その活動(取引)を律するものは私法(商法、民法等)である、私法で律される限りそこに先づ契約自由の原則があり、私的自治の原則が働くことになる、従って当事者は、その経済的目的を達成するために、どのような法形式を用いるのが、より大きな経済的効果を実現できるかという選択の自由(余地)がある、法人独自に私法上許されている方法形式による事業あるいは取引の遂行は私法上適法、有効なものであり、税法上も何ら違法なものではない。更に換言すると税法が規定している、あるいは予期している、定型化された経済活動(取引)を行わないとしても、それが、不当、違法ということにはならない、ただ税務当局は税法の規定する課税要件に照し、または税法における根本原則たる負担の公平を阻害するものであるときは、当事者が用いた私法形式とは関係なく税法上これを無視して本来の税法の定める課税要件が充足されるものと扱うだけのことに過ぎないものと思料する。

ところで、被告人の菊地徹郎に対する二億五、六五〇万円の報酬支払い、不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料の支払いは実名をもって現実に支払されたもの(社外に流出した)、即ち被告人の真意に基づいて支払われたものであり、受領した菊地も、その趣旨ないし理由はともかくとしてこれを現実に受領することを承諾しているものである(同人の58・6・3の証言等)、不動産企画にしても同様である(証人小玉敬重、同吉田研二)、その名目理由はどうであったかは別としてこれら金銭の授受は私法上適法有効なものである、また支出(社外流出)は決して虚偽でも、仮装行為でもない現実のものである。その流出金についての会計処理方法が法人経理の一般の基準にそわなかったとしても、そのためにその取引が架空であるということにならないし、私法上違法あるいは無効となるものでもない。

被告会社から支払われた後に、その保管あるいはその管理行為が、どのようになっていたか、あるいは直ちに返還(解約あるいは取消等)されたかということは、取引(流出した)後の私法上あるいは私的自治の問題であって支出した(社外流出した)即ち一旦発生した私法上の効力に消長を来す筋合のものではない、ただ税法上はその後の取引(菊地の二億五、六五〇万円についての被告会社代表者である横山新二郎の管理行為、不動産企画の返還等)がどのような計算となるか(誰の何時の利益金あるいは損金として計上されるか)の問題だけである。

なお不動産企画より返還された(昭和四九年二月二七日送金、同年三月五日返還)金五、五〇〇万円については被告会社の諸帳簿に記帳されず保管されたり、他人名義で預金されたりしていたが、しかし右の取引は被告会社の昭和四九年三月一日から昭和五〇年二月二八日までの事業年度におけるものであるから仮令一時的に経理処理をせず、他人名義を用いての預金としておいても、その期中にこれが記帳あるいは収入金等として計上すれば全く問題のないことである。またこの期の法人税確定申告書は昭和五〇年四月三〇日まで提出されべきものである。その確定申告書において、はじめて利益金あるいは損金としての計上が明らかとなり、かつ税務当局は、その申告書に基づいて利益あるいは損金の妥当性について決すべきものであるのに、いまだその時期到来以前に強制調査(昭和五〇年一月二八日)が行なわれたために被告会社としてはその決算期における経理処理も確定申告もできなくなったものである。

菊地に対する支払金は昭和四九年一月二一日であるから、これについての菊地の所得税の確定申告書は昭和五〇年三月一五日まで提出されべきものである。菊地もこの収入金に対して右時期には確定申告することとしており(同人の証言)また被告会社としても、同人が申告するものと考えていたものである、それがその時期以前の強制調査が行われたために解約返還(昭和五〇年二月二八日)せざるを得ないこととなったものである。

勿論税法上の犯罪は、その事業年度毎に成立する(既遂)ものと解されているが、しかしこれは、はじめから徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようなおそれがある場合だけである、本件のように実名で現実に支出し、受領金について申告しかつ課税されるような状態にあり、かつ一見してその支出処分行為が如何なるものかを判断できる場合に適用されべきものではないものと思料する。

(三) 会社(法人)は所謂経済人であるが、その企業のためには経済的に合理的でない行為も敢えて行わねばならぬことが多くある、利益の処分行為などもその一つであると考えられる、そしてその方法形式もいろいろあるが、その利益処分が、経済的に合理性あるいは妥当性がないような方法形式をとったとしても私法上不当、違法となることはなく、また税法上それが直ちに逋脱あるいはその手段となるものではない、また公表諸帳簿、証憑書類等の記帳あるいは作成形式が一般的な会計処理基準に合致していないとしても、税法上これが直ちに不当、違法なものとなるものではない。

本件の菊地に対する二億五、六五〇万円の報酬支払い、不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料支払いは被告会社の運営上の必要から支出したものであるがその形式はともかく、実質的には利益処分である。

法人税法上における利益処分は決算時に行なう形式的な利益処分に限られるものではなく形式的には利益処分の形をとっていなくとも実質上利益処分として取扱うべきものがある(隠れた利益処分)、この利益処分は法人税法上損金に計上されないものであることは勿論である、被告会社は形式的(諸帳簿、証憑書類上)には利益処分の形をとっていないが実質上の利益処分と考えられる右の支出金(菊地、不動産企画に対する)を損金と計上して法人税の確定申告をしたものであるから税務署長は隠れたる利益処分として当然にこの損金計上を否認し更正処分等を行うべきであったものと思料されるのに、そのような手続を踏むことがなかったものである。

(四) 逋脱犯は故意犯であり税を免れるという結果を必要とする実質犯であるとされている、故意犯であるから構成要件に該当する事実の認識を必要とすることは当然のことである。また本件の法人税法第一五九条の構成要件は「偽り不正の行為」により納税を免れることであるが、この構成要件の中核となる偽り不正の行為の意義についての判例(最高42・11・8判決)は「ほ脱の意図をもってその手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような、なんらかの偽計その他の工作をいう」としておりこれが基本的な解釈判例と解されている。

(イ) 本件菊地に対する二億五、六五〇万円の報酬支払、不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料の支払いは実名による現実の支払(社外流出)であり、その方法においても税の賦課徴収を不能ならしめるものでも、また著しく困難ならしめるものでもない、また被告会社代表者等には逋脱の意図など全くなかったものである。

被告会社代表者等に逋脱の意図のなかったことについては、実名で、現実に支出していることからしても明らかであるが、菊地徹郎はその証言中で、「実名での支払いであるから、税金は当然に納めるつもりである、脱税するつもりはなかった、脱税の相談とは考えていない、横山社長は税金を法人税で納めるも所得税(菊地の収益として)で納めるも、官に入る金は同じだとの考えを持っておったと思われる、若し脱税して金をつくるというなら、私に報酬を支払うこと自体間違いである、菊地が受取った報酬に対して支払う税金よりも、横山商事の利益として支払う税金の方がはるかに少ない、そのことは横山社長も充分知っていた筈である」旨等、述べていることからしても極めて明らかである、また菊地が受領した二億五、六五〇万円に対しては約九〇%の所得税が課せられることを予測してその受領金額を定期預金等にしてそのまま管理保管していたことからしても脱税(逋脱)の意図のなかったことが容易に推認されるところである。

不動産企画についても証人小玉敬重、同吉田研二は預ったものと述べているが、その目的、趣旨がどうであろうと金六、〇〇〇万円を実名で現実に社外流出したことは事実である、私法上は適法にして有効なものである、それが直ちに返還されることの約定であったかどうかは当事者の私的自治(契約自由の原則)に関する問題である、税法上から敢えて言うならば、支出側(横山商事)と受領側(不動産企画)の責任でなされたものである、即ち税務上の不利益を覚悟の上での支出であり、受領であると言うことだけであって、そのことが直ちにほ脱の意図を推測させたり、税の賦課徴収を不能または困難ならしめたりするものではない。

(ロ) 被告会社の本件支出金の目的、趣旨が報酬、あるいは手数料というのは経済人として通常の経済行動からすれば定型的あるいは合理的なものとは言えないかも知れない。しかし企業がその業務遂行上の必要から費途(使途)を秘して支出する即ち第三者に知られては困るため費途を隠匿する支出金は実務上多くあることである、通常費途不明金(使途不明金)あるいは使途秘匿支出金と称されるものの一つの形態と思料される、会計上の「記帳真実性の原則」からすると虚偽隠ぺい仮装とも考えられるが、しかし一方企業の存続性、そして会計慣行としての「保守主義の原則」(将来の危険に備える)とのかね合いからすると不当違法ではないものと考えられている、ただこの場合においても、税法上は支出側である法人自体の責任(即ち税務上不利益を覚悟して)であることは言うまでもないことである、従って支出金の目的なり趣旨なりが、通常の経済行動とは異なるものであったとしても、そのために税の賦課徴収を不能または困難ならしめるものではない。

(ハ) 原判決では菊地との間の「確認書」、「報酬算定同意書」、「念書」、不動産企画との間の「契約書」、「領収証」の作成は税の賦課徴収を不能若しくは困難ならしめるような手段としての偽計あるいは工作というように考えられているようであるが、これらの内容が事実と反する(虚偽)のものであったとしても、これによって税の賦課徴収が不能若しくは著しく困難となるものではないと思料する、即ちこれらは被告会社から菊地、不動産企画に対する報酬、あるいは手数料としての支払を正当化する証憑書類として作成されたものと思われるが、私法上(私的自治)、これらの証憑書類の有無、あるいはその内容の真偽に関係なく被告会社の報酬あるいは手数料の支出は有効なものであり不当違法なものではない。

また税法上からしても実名で現実に支出されている限り仮令内容虚偽の証憑書類が存しているとしても、またその形式がどのような処理になっておろうと損金に計上されるべきものか、利益金に計上されるべきものか、一見して判定でき得るものである、また受領したものは、その所得に対して税の賦課徴収がなされることも当然のことである。

いずれにしても右の如き証憑書類の存在は如何なる意味においても税の賦課徴収を不能あるいは困難ならしめるものではない。

二、被告会社は昭和四九年四月三〇日の法人税確定申告において、菊地に対する二億五、六五〇万円の報酬、不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料について、これらの支出に原価性あり即ち収益を得る必要な経費として損金に計上しているのである、この計上方法は租税回避行為に当たるとも考えられる、即ち税法上通常予定されている取引形式を選択せず、これと異った取引形式を選択したその結果、課税要件を充足しないものとなって、横山商事の昭和四八年度決算期における租税負担は実質的にこの分だけ軽減させる申告となったからである。

しかし租税回避行為は脱税とはその本質を異にするものと思料する、即ち、脱税は当初から租税負担をごまかす意図をもって事実を偽わり仮装隠ぺいする等、虚構する点に違法性を帯びるが、前者は納税者の真意に基づく行為であって私法上は適法有効であり計算上は偽りはないが、しかしそこに社会通念と一致しない経済的合理性を全く無視したような不自然性が存するものである、これに対しては税法上の行政処置をとるべきものとされている、即ち税法は純経済人が合理的、経済的に行為計算を行うべきことを前提として、かような行為計算に基づいて生ずる所得に対し課税するものであるから経済人として通常経済的に合理的に行動すれば、当然にとるべき筈の行為計算をとらないで、税を軽減した場合には租税公平の原則からして、かかる行為計算を否認することが許されるものと考えられている(行為計算否認についての規定は存しないとして租税法律主義の原則から否定する見解もあるが、租税公平負担の見地からこれを肯定するのが通説となっているものと考えられる)、従って税務当局は私法上の形式あるいはその効力に関係なく(これを無視して)本来の課税処置即ち否認し更正(国税通則法第二四条第二六条)決定(同法第二五条)処分等の行政上の処置をなすべきものであったと思料する。

ところで税務当局は被告会社について昭和四九年一〇月か一一月に税務調査をなし、その結果菊地に報酬として支払った二億五、六五〇万円並に不動産企画に手数料として支払った六、〇〇〇万円及びその解約返還について、税法上原価性のないこと(利益処分)即ち損金とならないものと認定しながら(但し解約返還入金についてはいまだ法人税確定申告の時期が到来していない、従ってこの分についての確定申告書は提出していない)その支払(解約返還)についての私法あるいは私的自治の分野にもはいり、これを仮装あるいは無効なものとし、しかも菊地からの「返還して更正申告する」との申出も全く無視し、税法上の行政処置をとることなく、逋脱犯として告発したものと思料されるが、原判決も被告会社の前記行為について税法上の租税回避行為と司法上の脱税行為とを混同誤認したものと思料する。

第二点 原判決は刑の量定が不当である。

(仮りに原判決認定の如き行為について被告人が責任を負うべきであるとしても)、原判決が被告人に対して罰金二、三〇〇万円を科しているが被告人にはその量刑上酌量すべき左の如き情状があるので、その量刑は不当に重きものであるからこれを破棄してもっと軽い罰金を科するのが妥当であると思料する。

一、被告会社の事業目的を達成するためそしてその経済的効果をより高めるために菊地に報酬として、不動産企画に手数料として(但し、これは政治献金するため)支出したものである。

この支出は勿論利益処分であったが、しかし、いずれも実名で支出しているので、被告会社代表者横山新二郎としては被告会社の利益についての税金は法人税(被告会社が納入する)として納めるも、所得税(受領した菊地、不動産企画が納入する)として納めるも、官に入る金は同じだと、また諸帳簿上も実体を現して処理しておるのでいやおうなしに個人の所得税は当然賦課されるものであると考えていたものである(菊地徹郎の証言58・4・8)。

二、昭和四九年一〇月か一一月に仙台中税務署で行った税務調査の際、菊地から二億五、六五〇万円を返還して更正申告する旨の申出をなしている(菊地徹郎の証言)。

三、被告会社は既に税務当局認定のとおり修正申告をなし、納税も済んでいる。

四、被告会社は本件起訴によって全く企業活動ができなくなり以来倒産状態で現在に至っているが、その間代表者たる横山新二郎が倒れ永い闘病生活のうえ再起なくして死亡しておる。

昭和五九年一月二四日

右弁護人 渡邊大司

仙台高等裁判所第二刑事部 御中

昭和五八年(う)第二二八号

○ 控訴趣意書

法人税法違反

横山商事有限会社

右被告事件につき、昭和五八年九月一九日、仙台地方裁判所において言渡された判決に対し被告会社より申立てた控訴の理由は、左記のとおりである。

昭和五九年一月三〇日

右弁護人弁護士 柴田正治

仙台高等裁判所第二刑事部 殿

一、原判決には、証拠の価値判断を誤った結果判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認をした違法があるので、破棄せらるべきものと思料する。

(一) 原審裁判所は、本件公訴事実を認定し、その判決において、その理由を次のように述べている。

1. 被告会社は、昭和四七年九月頃から西武、日ビルとの三社提携により鳴瀬町所在の土地一〇〇万坪余を買収して行う宅地造成等の開発事業に乗り出したこと。

その際、右土地の買収には、被告会社が直接あたり、買収後これを西武、日ビルへ順次転売することが取り決められたが、当時買収予定地域は市街化調整区域等となっており、右事業を進めるに当っては、地元及び中央政界の多数の政治家に働きかけて、右区域指定を解除して貰う必要性が生じていたこと。

他方、土地所有者らからは、昭和四八年三月頃から買上げ価格増額運動が起り、買収活動が停止したので、被告会社は、その要求を押えるよう努力すると共に、西武に転買価格の増額を要求し、数回の交渉を経て同年一〇月頃西武にその要求をのませたが、右交渉の過程で西武から土地売買契約書や被告会社の収支状況を開示するよう強く求められたこと。

2. 横山は、右の経過から、政治家に政治献金をするための裏金(傍点は弁護人以下同じ)を作ろうと考えると共に、当時三億円にものぼると予想された被告会社の当期利益を西武に知られないようにし、併せて右利益に対する法人税を免れる目的で昭和四八年一二月頃、菊地徹郎に対し、二億五、六千万円位を同人に支出する形にしたい旨申入れてその承諾を得たこと。

そして翌四九年一月一二日頃、被告会社から同人宛に二億五、六五〇万円の小切手一通が振出され、同月二一日頃、七七銀行卸町支店に右菊地名義で別段預金口座が設けられ、これにもとづいて同支店から同額の自己宛小切手が振出された後、徳陽相互銀行本店に菊地名義の同額の通知預金が設けられたが、その証書及び預金の際、使用した菊地名義の印鑑は横山が自宅に保管していたこと。

ところで、横山は、右金員の支出が正当な経費であると見せかけるため、菊地との間で、その頃、金額二億五、六五〇万円を受領した旨の領収「証」を作成した外、被告会社の本件事業年度を経過した後の同四九年三、四月頃、右金員の授受に関し、菊地が被告会社の鳴瀬開発事業に社外社員的立場で専心し、その報酬として被告会社の松島、野蒜地区についての土地売買等による総収入額の五%位を受領する旨の内容虚偽の「確認書」等を作成したこと、そして、同年四月三日、右通知預金は解約され、その中、四、四八九万七、七四九円が前記徳陽本店に、二億円が七七銀行本店に菊地名義の定期預金として預け入れられ、残金一、三〇〇万円は前記卸町支店の被告会社の当座預金口座に預け入れられたが、右証書二通も横山が自宅に保管していたこと。

その後、仙台中税務署等の調査が行われたところ、同五〇年二月二八日に至り、右預金二口は解約され、その元利合計金が右卸町支店の被告会社の当座預金口座に預け入れられたこと。

3. 横山は、前同様の目的で、昭和四九年二月二〇日頃、不動産企画株式会社代表取締役小玉敬重等に対し、「六、〇〇〇万円送るから一時預ってくれ」と依頼し、同月二八日頃、前記卸町支店の被告会社の当座預金口座から、平和相互銀行八重洲口支店の不動産企画の普通預金口座に六、〇〇〇万円を送金したこと。

しかし、横山は同年三月五日頃、東京に赴き、小玉から五、五〇〇万円受領し、うち二、五〇〇万円を住友銀行仙台支店の青山光久という架空人名義の普通預金口座に預け入れ、残金三、〇〇〇万円を自宅に持帰り保管していたこと。

その後、右六、〇〇〇万円の支出が正当な経費であると見せかけるため、小玉等との間で、不動産企画が被告会社の前記開発事業に協力する旨の内容虚偽の「契約書」等を作成したこと。

そして、横山は、同四九年六月一七日頃、右青山名義の預金を解約し、一旦これを自宅に保管したうえ、同年一二月一七日頃、前記三、〇〇〇万円と合わせ、五、五〇〇万円を前記卸町支店に村上公治という架空人名義の通知預金とし、前記調査後、同五〇年一月三〇日、右通知預金を解約し、その元利合計金を右卸町支店の被告会社の当座預金に預け入れたこと。

が認められ、以上の事実に照らすと本件の成立は明らかである。

又、被告会社と菊地や不動産企画との間に、本件のような巨額な金員の贈与を納得させるに足る関係は認められないこと。

前記認定事実、特に、正当な支出と見せかけるため内容虚偽の文書を作成していること。横山が預金通帳などを排他的に管理し、金員の管理支配を続けていたこと、を考慮すると贈与の事実は認め得ない。

等とし、その証拠として、横山新二郎の質問てん末書、検察官調書、菊地徹郎の原審法廷における証言、留目友子の右同その他を掲記した。

(二) 然し、原判決の右判断と認定は誤っている。それは、前記証拠の価値判断を誤ったからである。

1. 原審裁判所の、本件菊地関係に対する判断と認定は、形式的、皮相的で、余りにも視野が狭く、余りにも洞察に欠ける処が多い。この菊地関係での最大の問題点は、原価性の有無の問題であろう。原価性があるとされるならば、逋脱の疑いは一掃されるであろう。

(1) この点に関し横山は、質問てん末書(昭和五〇年三月四日付)三項で、菊地に、本件開発協力費を支払った理由として、

(1) 値上げという頭脳的な参謀の役割

(2) 会社側の秘密を守り、それを外部に漏さない企業防衛上の見地からの配慮

(3) 土地売買接渉の際のアドバイス

(4) 経理全般についての仕事

(5) 実質、参謀本部長、副社長と言った役割

を挙げている。

横山は、その経歴の示すとおり、金儲けと人使いのウマサにかけては卓抜した才能、手腕を持った老練な実業家であって、会社の単なる事務職員に一事業年度に二、五〇〇万円ものボーナスを惜し気もなく出す豪気、太っ腹の人物である。しかも、本件当時は数拾億円と言う巨額の資金を動かして事業を進め、多額の利益を挙げていたものである。

横山は、右列挙の事柄に関し、菊地から重要適切な助言、協力を得て、幾多の利益を得ていたであろうことは、容易に推察することが出来る。

税理士事務所の一使用人に過ぎない菊地が右のような貢献度を認識、理解しておったかどうかは措くとして、横山に、菊地へ本件開発協力費を支給するだけの、実業家、経済人としての、それ相応の高度の判断と計算があったものとみて差支えない。

この点、横山死亡のため、原審公判廷における解明は不可能になったけれども、若し健康で、この公判廷に出廷し得たならば、この解明、立証は十分出来たものと思われる。

しかし、右の資料によっても立証は出来ると考えられるが、これで右開発協力費の原価性は認め得ると認められる。であるとするならば、会社利益が、それだけ減少したとしても、それは当然のことで、菊地への支給には、何の問題もない。又、結果的に、対西武の問題が解消するという効果が出たとしても他人より批難指弾されるものは何もない。又、留目友子証人は、この原価性に関し、このように証言(原審第一〇回公判)している。

菊地は、横山商事の会計内容をよく知り深くいろんなことを知って携わっていた。土地売買についても、買値、売値、利巾は全部把握しておって、表面には立たなかったけれど対西武関係では、いろんなアドバイスを横山社長にしていた。と言う旨のものであるが、これは横山の前記質問てん末書記載の供述とよく合致する。

そうして、原価性に関する菊地徹郎証言(原審一二回公判)であるが、それは、私は、経理事務その他につき横山から信頼されて、いろいろ相談に乗っていた。私の働きに対して支払われることについては、尨大な頼であったが、強いて払おうとすれば仕入勘定以外にない。買収行為にかかる費用は、土地を買う費用だけではないと考えていたので、横山に相談したら原価性があるので仕入勘定でいいと言うことになった。旨のものになっており、又、同一三回公判での証言は、私が横山商事のやっている開発事業等につき横山の相談に応じ、アドバイスした内容回数は、いちいちあげられないし、それが横山にとって重要かどうかは判らない。旨のものになっている。

これは抽象的ではあるが、前記横山の質問てん末書の供述記載や、留目証言に相応し、措信するに足りる。又、菊地は右一二回公判で、約束覚書等は、全部が全部嘘であると言うものではない、実際のものもある旨証言していが、これも、右措信性を補うものと言い得る。

そうして、前に話し合った事柄を後日書面にすることは、よくあることであって異とするに足りない。

ところで右のとおり、菊地は、横山の相談に応じ、いろいろアドバイスしたが、横山にとって、それが重要かどかは判らないと言っているが、もっともなことである。この重要度の判断は、仙台市内一流とも言うべき経済人横山にしてなし得ることであって、菊地のよくするところではない。当事者である横山の説明なくしては門外漢たる当税査察官でも出来ないであろう。

横山が重要である原価性ありと判断したことの証明は叙上のとおりである。それを軽々に否定することはできない相談で、不当である。

(2) 次ぎは本件開発協力費の授受とその管理で、原判決は、前記のとおり、授受は、仮装で形だけのもの、従って、右協力費は、横山のもとに排他的に支配管理されていたと認定した。しかし、これは事実誤認である。

この特に授受に関する菊地の証言は、苦悩と苦渋に満ちたものである。確実にその支給を受けたものと言えば、自己の税理士事務所や監督官庁たる国税局に対する立場がおかしくなる。さればと言って授受の仮装に協力したと言えば、脱税の共犯ということで、身の破滅は勿論のこと右事務所の崩壊に直結すると言うことで、極めてアイマイである。しかし、真実は、その支給を受けたと言うことである。

菊地は、前記一三回公判において、横山から、西武等から金を要求されて困っている。菊地にやった方がいい。税金は菊地が払えばいい。貰った金をパッパ使っては困るだろうから、後の運用は一応俺に委しておけと言われてそのようにした。

検察庁では、横山から裏金を作る操作に協力してくれと頼まれて、協力したと述べたが、自分の立場も考えて横山の方に押し付けてしまえば、こっちもいいだろうと考えて、そのように供述した。

旨証言しているが、それが本当であろう。

それなればこそ、正式の経理手続を経て支出されたものであって、仮装でもなければ、虚偽でもない。大体、被告会社の開発事業に大いに協力したと考えている者が、これを重く評価した社長から協力費としてこれだけやると言われて断る阿呆はいない筈である。

又、原判決の言う排他的支配であるが、原判決も認定しているとおり、預金の名義は菊地名義である。これも、前記一二回公判の菊地証言にあるとおり、預金の保管方法は、横山一任ということにした。旨の証言、同一四回公判での税金の引当金ということで横山保管にした旨の菊地証言から判るとおり、両者納得ずくのことである。

そうして、原審公判一一回における留目友子の証言及び同一八回における菊地の証言に明らかなとおり、菊地はこの協力費の中から一、三〇〇万円を出して、一、〇〇〇万円を横山に貸して同人が前に被告会社より仮払いを受けていたものの清算に当てると共に、自分の仮払いにも三〇〇万円入れて清算しておるのみならず、二、〇〇〇万円ともう一口の利息も受取っている。

この事実からすると、原判決の言う排他的支配管理という認定は、タメにする機械的、形式的判断認定であって、承服し難い。

(3) 更に、原判決は、前記のように、政治家に政治献金するための裏金を作ろうと考えて認定したが、菊地は原審一八回公判において、裏金というのは、全く仮名、架空で隠匿し会社や社長が表に出さずに自由に使う金のことで、本件の金は、正式に表に出しているので、裏金には該らない。

政治献金やリベートに充てるための裏金を造ろうとしても、本件のような方法では、九〇%も税金で持って行かれるので、現実的には不可能である。旨証言しているが、極めて判り易い道理である。多言する迄もなく、原判決の右の認定は、土台無理であると思われる。

(4) 亦、原判決は、菊地への金が、被告会社に戻された事実をも不審の一点としているが、これは右一八回公判での証言にもあるとおり、仙台中税務署から調査を受けた際、三重課税等言われたため、面倒になって戻したものと認められ、決してほ脱を図ったからではない。

(5) なお、菊地へお支払いと不動産企画への支払いには、何等の関連もない。

留目友子が前記一〇回公判で証言しているとおり、菊地への金の話は、四八年夏頃から出ていた話であって、不動産企画への金とは全く別個、無関連のものである点を看過してはならないと思われる。

2. 次ぎは不動産企画関係であるが、その支払い受領は、名目、理由は別として、双方、実名をもって、各自の真意に基づいてなされたことは明らかである。この支払いについての課税は、受領先の不動産企画に対してなされ、納税することによって、窮極的に徴税の目的が達せられると言うのが横山の認識であって、そこには、ほ脱という意図、意識はなく、又、後日契約書等を作成したが、これとても、判例に言う税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるものとは認め難い。

以上のとおりなので、本件は無罪と思料する。

二、原審裁判所の刑の量定は重きに失するので、破棄せらるべきものと思料する。

本件が、仮りに不幸にして有罪であるとしても、左の情状を考慮すると、原判決の罰金二、三〇〇万円は苛酷である。

(一) 本件による逋脱額の税金は修正申告と共に納税済みの筈である。又、重加算税も納付されていると思われるが、周知のとおり、この重加算税については二重処罰の批難が後を絶たない悪税である。量刑に当っては、この点も考慮すべきもがある。

(二) 情状として看過出来ないのは、市民の納税意識をそぎ、脱税を企図させるものとして政府による税金の無駄使いである。

税制では、刑罰で市民を脅かし乍ら税金を取立てるが、一旦これを取立ててしまうと、どのように使おうと自由勝手で、かつ、責任を追及されることはない。昔の専制封建時代ならいざ知らず、今時、こんな馬鹿な話の通る筈はないのであるが、現実は立派に堂々罷り通っている。

憲法九〇条同九一条は、この税金の使途に関しチェックする絶好、唯一の機会と場所とを与えているのに何故か所期の如く作動し、血税を納めた市民の期待に応えたためしがない。刑罰をちらつかせ乍ら税を徴収し、脱税した者を厳罰に処するのであるならば、徴収した税金の使途につき不当があった場合、これも刑罰をもって厳しく、その責任を追及するのが、理屈であり常識というものである。

この誰にも判る理屈と常識のとおらない処に市民の、納税者の不平と不満がある。そして、それが脱税という形で表われて来るのである。

この素朴にして、しかも鋭く、かつ正しい市民の納税者の感覚、感情と論理を無視してほ脱犯の責任を論ずることは出来ない。

かくして市民をして納税意欲を無くさせるどころか脱税へと誘惑し駆り立てる、そのものは、正に政府自体であると言わねばならない。

当弁護人は、拾数年以前より、この種事件につき、右のことを裁判所に訴え続けて来たが、本年一月二八日付サンケイ新聞紙上に、右論旨に則った「税金浪費罪」を新設せよとの論文が載った。衆目のみる処は全く同じである。

(三) 本件会社は、この起訴によって、全く企業活動が出来なくなり、以来、倒産状態である。又、代表者である横山も、高血圧に悩まされている処を、本件によって逮捕勾留され、闘病生活を数年に亘って重ねた末死亡した。

以上、詢に酌むべきものがある。

叙上の次第なので、原判決破棄の上、更に適正妥当な御裁判を賜わりたく控訴に及んだものである。 以上

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